名古屋こころのセミナー実行委員会『2018歴史探訪』愛知県西尾市
三河の小京都「西尾」の街歩き!
平成30年4月22日(日)全国的に好天に恵まれ、記録的な気温が続く中、こころのセミナー『2018歴史探訪』は、愛知県のほぼ中央三河湾を望むところに位置する西尾市へ訪れました。
市の人口17万あまり。起源は縄文時代後期が始まりのようです。現在は三河の小京都と言われるまでに発展、お茶をはじめ海の幸、山の幸も豊富で年中楽しめるところです。
探訪は、西尾市歴史公園からスタートです。歴史公園は、西尾城跡一帯で本丸丑寅櫓(ほんまるうしとらやぐら)・鍮石門(ちゅうじゃくもん)等を復元し、その後天守台も復元整備され、資料館も造られ西尾市発展の歴史を伝えています。まずは、鍮石門前で記念撮影を済ませ、ボランティアガイドさんおすすめのお茶席の在る旧近衛邸でお抹茶をいただきました。地元鉄道会社主催の歩け歩け大会と重なり、大変な賑わい。お茶席も満員でかなり時間が過ぎてしまいましたが、待っている間ガイドさんが西尾のお茶の歴史やら近衛邸の経緯などを説明していただき、退屈せずに過ごせました。
当初の予想より大幅に遅れたが、とにかく行けるところまで行こうということになり、歴史公園を見学の後、尚古荘(しょうこそう)へ向かいました。昭和初期に米穀商大黒屋岩崎明三郎氏によって、日本庭園と茶室等の建物が作られたとされています。史跡の一部を利用した庭園設計がされており、西尾城への思いから尚古荘と命名されたそうです。
尚古荘を出ると直ぐ本町通りです。本町通りに並ぶ町家を見学しながら康全寺へ向かいます。途中、新しく整備された井桁屋公園があり、嬉しいことにトイレまで完備されていました。また、昔ながらの円筒形の郵便ポストがあり、なんとその色が赤ではなく緑でした。さすがお茶所というのか楽しくなってきました。康全寺は以前、吉良山満全寺と言われていましたが徳川家康が群巡見のさい、この寺に泊まった折にお家康の一字を貰い西尾山康全寺と改名したとのことです。この寺には大日堂があり、天井画として『水吐き竜』が描かれて火災を防いだという伝説も残っています。現在、竜には何とか見えましたが状態は余りよくなかったです。
時間も午後1時少し前、後は味噌蔵の見学を残すのみです。歩け歩けの人が後から後から湧いて現れて味噌蔵の中も人でいっぱいです。重さが3〜4キロの石を樽いっぱいに積んでありました。石の見える樽やすでに石が見えなくなっている樽もある。何日かかけてだんだん沈んで行き、水分を出して発酵させるのです。匂いに敏感な人には大変で、かなり強烈です。蔵の中は薄暗く一人でいたら不気味で怖くなるのではないかと思う。味噌の説明書があるが、余り見る人はいないようでした。
西尾のあっちこっちで土で作った雛人形を見るが何かいわれがあるのだあおるか、機会があれば聞いてみようと思いました。解散は午後1時ちょっと過ぎです。お疲れ様でした。今日、訪れたところはほんの一部です。見どころたくさんの三河の小京都西尾市、またいつか訪れたいと思います。
レポート:代表 加茂初年
晴天に恵まれ西尾市歴史公園の『鍮石門』前で記念撮影
数奇屋風邸宅の『旧近衛邸』の茶室でボランティアガイドの説明を聞きながら西尾市の名産のお抹茶をいただく。
平成8年に再建された本丸丑寅櫓(ほんまるうしとらやぐら)は、本丸の丑寅(北東)の隅に建てられた櫓で、城内の隅櫓のうち一番高い建物。
城下町の風情が残る『本町通り』に並ぶ町家を見学しながら次の目的地へ
新しく整備された井桁屋公園には、昔ながらの円筒形の郵便ポストがあり、なんとその色が赤ではなく緑でした。有名なお抹茶と使ったスイーツの食べ歩きをするのも楽しい。
康全寺(曹洞宗)応永5年(1398年)、場内の御剣八幡宮の近くにあった八幡六坊のうち釈迦堂と大日堂を移し、吉良山満全寺としった。徳川家康が群巡見のさい、この寺に泊まった折にお家康の一字を貰い西尾山康全寺と改名。