誰にも日課はあると思うが、私の場合、近所にある「タコ公園」への往復がそれに当たる。タコを模した大きな遊具があるので通称「タコ公園」。もちろん正式な名前は新西新井公園とついているのだけれど、誰もその名では呼ばない。地域の人に愛されている公園だ。
このタコ公園に、私は毎朝ラジオを持って通っている。ラジオ体操のためだ。だいたい六時くらいからぽつぽつと人が集まり出し、六時半になるとNHKの放送(今年で80年)に合わせて体操をする。これがもう、十年以上つづいている。
言いだしっペは私だ。あるとき町会のなかに老人会(西新井東遊会)が発足した。せっかくだからなにかレクリ工−ション活動をしようということになり、ならばラジオ体操はどうかと提案したのである。言った以上はやらねばならぬ。そうして、公園内の広場にあるステージに立ち、皆と一緒に体操をする毎日が始まった。
雨天と日曜以外は季節を問わず行う。とくに参加の義務はないが、出席名簿にはだいたい五十名ほどの方の名が連なっている。夏休みになると、子どもたちがお父さんと−緒にやって来たりする。逆に冬はさすがに出が悪いが、寒くても欠かさず来てくれる常連組がいる。私が寝坊をしそうになると起こしに来てくれたり、皆の協力がなければこんなに長くはつづけられなかったかもしれない。
実はラジオ体操とは長いつきあいだ。会社に在職中のこと、社長に命じられてラジオ体操の音頭取りをさせられた。自動車の濾遇器メーカ一の下請けをしている、社員五十人ほどの小さな会社だった。会社は小さいが、自動車業界は伸び盛りで、仕事は非常に忙しかった。そんななか、社長は社員の健康を気遣ってラジオ体操で身体をほぐしてはと考えた。時間が来ると自動的に再生される機器を導入し、私に皆の前で手本を示すようにと役目を与えてくれた。手当も昇給もなし。
しかし、社長の心遣いを意気に感じたものだうた。結局、この仕事は定年までつづいた。そしていまもラジオ体操をつづけている。第一と第二で合わせて十分ほど。私は今年八十六歳になったが、いまだに大病を患ったことがない。ラジオ体操を継続してきたおかげに違いない。
体操自体も楽しいけれど、喜びを感じるのは集まって来る皆の姿を見ているときである。終わると、皆、嬉々とした顔で友達と語らいながら三々五々帰って行く。これを見ると、骨を折って良かったな、と幸せを感じる。この幸せを、毎日感じることができるのだ。
家に帰れば妻が朝食を用意して待っていてくれる。身体を動かしたあとだから美味しい。これも長命と健康の秘訣だろう。
私の人生にラジオ体操を与えてくれた社長には、いまも感謝している。
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片野錨(かたの・いかり) 西新井東遊会・ 活年らいふの会
1922年、東京都生まれ。西新井東遊会の活動を通じてラジオ体操の普及、地域への貢献に努める。ラジオ体操は自動車部品メーカーに勤務していた現役時代よりの習慣。 |