『天高く馬肥ゆる秋』 皆様お元気でご活躍されていることと思います。

さて、前号では、バナナの話から無意識な自分を意識してみることについて書いてみました。

「無意識な自分を意識するって難しいですね。異性を意識することだったら分かるのですが…」

って言われたことがありました。私はこの「くらしのこころ学」を推進していく中で、人との関わり合いを通してこの「無意識な自分を意識すること」、すなわち客観的に自分を見たり、また自分がどんな人なのかを知る努力をすることが生きる中で大事な意味があると思えたのです。

前回の、バナナを買ったことによって偏愛に気づかれたお母さんの話を読んで頂けましたでしょうか?

あの素敵なお母さんに出会って、私は無意識な自分を意識することができたのです。このお母さんのように、バナナがおいしいと食べる子を見て、偏愛に気づき涙を流すことができたかしら…と自分を考えたのです。いつも親づらを振りかざして、自分で勝手に何事も思い通りになるものだとしてやってきたのではないかと思えたのです。

私は大変厳しい親に育てられ、いつの間にか私も子どもに対して親と同じようにしていたのです。そんな私がこのお母さんと関わる中で、この方はどういうお母さんに育てられたのかなと思い、

「どんなお母さんでしたか?」

と聞いてみました。

「私は幼い時、鏡を見ながら『何で私をもっと美人に産んでくれなかったの?』と母に言ったことがあるんです。その時母は『ああ、そうだねえ、もう一度お腹に戻せるものなら産み直してあげたい』そう言ったんです。その瞬間、『私を何でこんなふうに産んだの』と、ずーっと抱えていた気持ちが、すーっときれいになくなっちゃったんです」

そう話してくれました。

「戻せるのなら、もう一回産み直してあげたい」

子どもの言葉をそのまま受け止め、そのまま受け入れてあげられるお母さんですよね。すごいなぁ、と思いました。それから、その方は三姉妹なんですけど、お母さんがいつも、

「私は将来、あなたたちの世話になりたい。誰でもいいの。一緒にいたい」

と我慢をせず、言い続けておられたそうです。実際、一番下の娘さんと一緒に温かな家族の中で孫に囲まれて、幸せに過ごされているそうです。

親は子どものすべてを受け止め、心を育てていくと、子どもは親の気持ちを受け止めて生きられるようになることを教えてくださった出会いでした。

平成9年9月号(第2号)