寒風が街を吹き抜ける日が続きます。来る日も来る日も足下から這い上がる寒さと対峠していますと、見上げる陽光の暖かさが心の底から懐かしく思われてきます。この気持ちは昔の人もきっと同様だったことでしょう。

古来、太陽の力が最も弱くなると考えられたのは、昼の時間が最も短く、夜の時間が最も長い「冬至」の日でした。そしてまた冬至を境として太陽の力は復活をはじめるとも考えたのです。陰極まれば陽萌す。トー陽来復」の日として、冬至は未来への明るい希望を神に託し祈る日でもありました。冬至唐茄子といってこの日特にカボチャを食べたり、柚湯に入浴するなど、この日だけの特別 な風習が民間に根強く残っています。

しかし「冬至冬中冬はじめ」という語が示すように、現実的には冬至はこれから寒さがますます深まる頃。なかなか我々の感覚と暦上の意味が一致しません。ですから寒さがゆるみはじめる「立春」の日に注目し、一つの目安として、太陽に暖かさが戻ることへの祝いの気持ちを託すようになったのです。このような経緯で立春から正月が始まるという「立春正月思想」が生まれました。

現在のグレゴリオ暦に当てはめますと冬至は12月22日頃で立春は毎年2月4日頃となります。季節としての一年の始めは立春。ですから現在の年賀状に迎春や新春の語が使われているのです。暦(太陰太陽暦)が一般 に普及し始めると、次第に正月の満月の日(15日)を「元日」として一年のはじめと考えるようになりました。

そしてこの夜に歳神を迎え、旧年と新年の収穫と加護を感謝するようになったのです。ちなみに現行グレゴリオ暦の1月1日は、上記のような天文学的な意味を持たない日なので少々さみしい気がしますね。

日本における「新年の始め」はこのように複雑です。冬至を始めとするもの、立春を始めとするもの、正月の満月の日を始めとするもの、そして1月1日を始めとするもの。この四種の考え方が存在しているのです。またそれらの前日はそれぞれ特別 な日とされました。なぜならば新しい年への偉大なパワーを授けにやってくる存在をお迎えする重要な日、いわば「おおみそか」であるからです。そしてそのための特別 な行事が各地に伝承されています。大晦日の夜にやってくる「なまはげ」は、もともと小正月にむけてやってくるものでした。その一年に不幸があった家には入らない、というしきたりは、なまはげの正体が不浄を忌む神霊であることがうかがわれます。また立春の前日には悪いモノを追い祓うために豆を撒くという風習があります。これもそのあとにやってくる新しい年の神様を迎え入れるための不可欠な行事だったのです。現代においても正月を前に大挿除をするように、豆撒きも大挿除も同じ意味を持つ行為なのです。どちらも神を迎えるために、家内を清める準備作業なのですね。このように日本の文化の中には春を迎える、つまり神を迎えて新しいパワーをいただこうとする神迎えの作法が今もきちんと存在し、確かに伝わっているのです。

春は「発る」「張る」で、陽気が地中に籠って活力がそこでうごめいている、またその力が地上に出ようとして出きっていない状態を示す字です。冬の季節に弱々しかった太陽が復活し、大地を照らします。そしてその地中から何かが生じようとしていたり、生じたりするとき。これが春なのです。

長い時を経て、幾多の春を経験した日本の文化が、そのどれも捨てることなく大事に大事に現代まで伝えてくれています。陽の光とその暖かさを求め、大切に思うこころを伝えてくれる豊かな季節迎えの作法たち。それぞれの行事の意味をしっかり理解して、この素晴らしい文化を次の世代に余すところなく伝えていきたいものですね。